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第5話 悪役令嬢デビュー果たします!

last update Huling Na-update: 2025-09-28 06:06:29

 三日後の昼休み。

 アカデミーの中庭は、芝生の緑と生徒たちの楽しげな談笑で満ち溢れていた。色とりどりのドレスが、まるで蝶のように舞っている。

 生まれ変わったわたくしは、漆黒のベルベットリボンでポニーテールを結び、背筋をまっすぐに伸ばして歩く。

(ふふん、見てなさい。やられっぱなしじゃないのよ、このベアトリーチェは!)

 そこにひそりと、専属執事イヅルが鼓膜を撫でるように囁いた。

「あまり気負われますと、足元を掬われますよ。マイレディ」

「ひあっ!? いきなり、そんな声出さないでっ!」

 抗議すれば、イヅルが「これは失敬」と、愉しげに一歩下がる。心臓が飛び跳ねたわよ! 我が執事ながら、本当にイイ声してるじゃないのよっ!

 でも、そうよ。まだ目立ってはいけないのだったわ。

 わたくしは標的がテラス席につくのを、柱の陰からじっとハンターのように息を殺し待ち伏せた。

 ――来たわ!

 令嬢たちに囲まれながらも、どこか退屈そうにお茶を啜るバージル殿下。

 その隣で忠実に控える騎士ローラント殿。そして、招き入れられ恐縮する、本日の主役、聖域の乙女ルチア嬢!

 にやり、完璧な布陣ですわ!

「で、お嬢様。ブツのご準備はよろしいので?」

「ブツって言わないでちょうだい!」

 イヅルが差し出したのは、一見するとただの高級そうなインク瓶。

 しかし中身は、シャーデフロイ家に伝わる特殊なインク。

 一度染み付けば、どんな優れた染み抜き師でも、決して落とすことのできない代物よ。

「そう! 我が家の秘伝なる染み抜き液でも使わない限り、未来永劫ね!」

「ところで。あまりに用途が限定的すぎるのですが、一体どのような経緯でこのようなインクが開発されたので?」

「ふふふ、動きのシミュレーションは完璧よ。ああ、わたくし、己の才能が恐ろしいわっ!」

「どうやら、聞いてはいらっしゃらないご様子で」

 おさらいね、まず作戦はこうよ!

【作戦概要】

1. わたくしは偶然を装い、殿下たちのテーブルの側を通りかかる。

2. 足元の石畳の僅かな段差に、わざとつまづく。(もちろん段差などない。あくまで演技ね!)

3. バランスを崩したわたくしが、持っていたインク瓶を“誤って”弾き飛ばす。

4. 放物線を描くインクが、ルチア嬢の純白のドレスに降り注ぐ!

5. 可憐なドレスに醜い染み。悲鳴を上げるルチア嬢。激怒する王子。「なんてことを!」と詰め寄る彼に、わたくしは「あら、わざとではございませんことよ?」と、扇で口元を隠して言い放つ。

 どう? 完璧な計画でしょう!

 あくまで事故として処理する。これぞ悪女の様式美! 王道にして、至高の嫌がらせですわ!

 このために、何回インクを命中させる練習をしたかも数えきれないわ!

「お嬢様の発想は、時折、木馬で遊ぶ無邪気なお年頃のそれと酷似しておりますね」

 うっさいわね、いちいち水を差すんじゃないの!

「イヅル、タイミングはわたくしに合わせなさい。あなたの仕事は、事が終わった後、この大舞台から主役を離脱させることよ」

「――御意に。その役目、つつがなく果たして見せますとも」

 わたくしは深呼吸一つ、肺いっぱいに吸い込んだ草の香り。

 胸がドキドキしてる。でも、女優としての仮面を被り、優雅に、大胆に柱の陰から歩み出た。

 一歩、二歩。大理石の床をヒールで叩く、軽やかな音。

 周りの生徒たちが、わたくしの登場に気づき、ひそひそと囁きあい始めたのがわかるわ。いいわ、もっと注目なさい! あなたたちは歴史の目撃者となるのだから!

 さあ、テーブルまであと5メートル、3メートル。射程圏内!

(今ですわ! 恨みはないけど、ルチア嬢お覚悟をっ!)

 練習通り、しなやかに、わざとらしく右足を空中で踊らせ――。

「ふぎゃっ!」

 わたくしの体は、計画とは全く違う方向に傾いだ。

 そう計算にもない、石畳の裂け目に、ヒールの踵を引っ掛けてしまったのですわ!

「おっと、···ありませんでしたね。……裂け目はありましたが」

 イヅルの呆れ声が、遠くに聞こえる。

 スローモーション、世界が回転。わたくしの手からインク瓶がすっぽ抜け、高く、高く、宙を舞った。

 放物線は、描かれた。

 でも、着弾地点は――。

 バッシャァァァン!!!

「「「「きゃああああああっ!!!」」」」

 悲鳴の大合唱。

 インクが降り注いだのは、純白ドレスのルチア嬢ではなかった。

 よりにもよって、我が国、最高峰の職人が丹精込めて刺繍したであろう、王家の紋章。黄金の獅子が燦然と輝く、豪奢な青い上着。

 ――つまり、ポカンとした顔のバージル殿下。胸元ど真ん中だったのですわ!

「…………うわ」

 誰からか漏れたのか、間の抜けた声。チュンチュンという、小鳥の囀りだけが場違いでした。

 殿下の|湖青の瞳《レイクブルー》と、わたくしの目が、バッチリと合う。

 彼の美しいお顔が、みるみるうちに朱に染まっていく。

 ああ、まずいですわ。これは、計画にない。計画にない最悪のシナリオよ!?

「ベ、ア、トリーチェッ……。貴様……ッッ、一体どういうつもりだッ!!!!」

 その日、王立アカデミーにバージル殿下の怒号がこだました。

 わたくしの、記念すべき悪役令嬢としての初仕事は、標的を盛大に間違えるという、歴史的な大失敗に終わったのでした。

 ――さすがに、不敬罪で断頭台送りまでは、想定していないのですわっ!!?

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